尾張東南部(現愛知)の猿投窯(さなげよう)で生産されていた須恵器に引き続き、灰釉陶器へと生産が連続して行われました。平安前期(9世紀)の灰釉陶器は、主に尾張黒笹(くろざさ)地区を中心として生産されています。
灰釉陶器は天然の草木灰を主材料とした高火度釉を掛けています。
平安中期10世紀後半になると、猿投窯では、灰釉陶器の生産体制が整えられ、焼成方法も還元炎から酸化炎へと転換され、白い焼上がりが得られるようになりました。
平安時代末12世紀頃から、猿投窯では次第に山茶碗を中心に焼くようになりました。山茶碗は、無釉の浅い碗型の鉢や皿を主として、大量生産が可能な日用雑器です。
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