萩焼の起源は、豊臣秀吉とともに朝鮮半島に渡った毛利輝元が、現地の陶工李勺光(りしゃっこう)、李敬(りけい)の兄弟を伴って帰国し、萩の松本に窯を築かせたことが起こりと言われています。 李勺光の死後は李敬が窯を継ぎ、藩主から「坂高麗左衛門」の名を受け、代々御抱窯(おかかえがま)として幕末まで続きます。また松本では、寛文年間(1661-72)に大和国の三輪休雪もこの地に来て窯を開き、以後御用窯として保護を受けてきました。 その後、天明六年(1786)には、坂倉万助が御蔵元支配人となり、深川(ふかわ)に蔵元支配の焼物師が集められます。坂倉本家・諸家をはじめ坂田・田原・新庄等の十二軒あったと伝わっています。 萩焼では、江戸時代を通じて藩主の保護のもと茶陶を中心に生産をしました。現在もその伝統の技が続いています。
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