豊前小倉の細川忠輿が慶長年間(1596-1615)に李朝の陶工である尊楷(そんかい)を招いて開窯したのが始まりとされています。以後、細川家から小笠原家にわたる歴代藩主の御用窯として珍重された、国焼茶陶です。遠州七窯の1つとされているが、遠州よりも金森宋和好みであり、その特徴を後代まで持ち続けました。
登窯
茶碗、鉢、皿などいずれも高台が高く、撥高台といわれる形をしているのが1つの特徴です。尊楷の作は素朴で重厚であり、朝鮮唐津や斑唐津、古高取に似ています。茶陶の他に日用雑器も多く焼かれています。白釉地に上野青釉や三彩をほどこしたものが後代より現在まで作られています。
茶器
上野焼の食器類は、古来より毒を消し中風になりにくくなると言われてきました。また、酒の風味を良くし、飲食物の腐敗を防ぐとも言い伝えられています。
上野焼陶芸館
上野焼陶芸館
 
(参考・写真転載:「上野焼陶芸館パンフレット」より)
 
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