(function(i,s,o,g,r,a,m){i['GoogleAnalyticsObject']=r;i[r]=i[r]||function(){ (i[r].q=i[r].q||[]).push(arguments)},i[r].l=1*new Date();a=s.createElement(o), m=s.getElementsByTagName(o)[0];a.async=1;a.src=g;m.parentNode.insertBefore(a,m) })(window,document,'script','//www.google-analytics.com/analytics.js','ga'); ga('create', 'UA-39972070-1', 'ceramic.or.jp'); ga('send', 'pageview'); (function(i,s,o,g,r,a,m){i['GoogleAnalyticsObject']=r;i[r]=i[r]||function(){ (i[r].q=i[r].q||[]).push(arguments)},i[r].l=1*new Date();a=s.createElement(o), m=s.getElementsByTagName(o)[0];a.async=1;a.src=g;m.parentNode.insertBefore(a,m) })(window,document,'script','//www.google-analytics.com/analytics.js','ga'); ga('create', 'UA-39972070-1', 'ceramic.or.jp'); ga('send', 'pageview');
 室町時代末期から、尾張や美濃地方はやきものの町として栄えていました。しかし、絶えず合戦の舞台にもなっていました。そこで、彼の地の陶工達は全国に焼き物ができる土地を求めて旅立ちました。東北地方を、目指した者の中に、瀬戸出身の水野源左衛門、長兵衛の兄弟がいました。彼らは、やがて長沼(福島)で故郷の粘土に大変よく似た原料を見つけ出し、ここに留まって焼き物を作り始めました。

 その頃、会津藩主保科正之公は領地内で製陶をはじめた兄源左衛門を呼んで、会津に焼き物を誕生させるように命じました。源左衛門は原料探しのために会津の山々を調査し、遂に本郷の地に良質の粘土を発見しました。そして、苦心の末に「凍み割れしない瓦」を完成させたのです。保科公はその功績を称えて、弟長兵衛に瀬戸右衛門という称号を与えました。

 それ以後、会津本郷焼は脈々とその技を受け継ぎ、現在に至ります。

   
  湯呑   鰊鉢
陶器と磁器の両方を作っている産地で、ひとつの窯元で両方の焼き物を生産していることもあります。磁器は青く彩色した呉須染付や、種々の釉を用いた多色の色絵など多岐にわたっています。陶器では実用的なものが多く作陶されていて、それらは飴釉、灰釉といった伝統的な釉薬が用いられています。

   
鬼瓦   染付   会津本郷陶磁器会館
 
  福島県立会津工業高等学校は、明治37年創立の伝統のある工業高校です。その中でもセラミック化学科は、2005年に文部科学省事業の「目指せスペシャリスト」でスーパー専門高校に選ばれ、幻の陶器「曜変天目茶碗」の再現を目指し、2008年2月には、酸化チタンを加えた釉を用いることで幻の陶器に近い茶碗の再現に成功しました。このように、産業だけでなく教育の面でも活発に活動していることが特色の生産地といえます。。
 
会津城
 
<情報>
産地の組合等

会津本郷焼事業協同組合
会津本郷陶磁器会館
福島県立会津工業高等学校

産地の周辺情報

会津美里町観光協会

イベント

会津本郷せと市:8月第1日曜日

 
セラミックス博物館
Copyright (c) by CerSJ