萬古焼は元文年間(1736〜41)に桑名の豪商沼波弄山(ぬまなみろうざん)が現在の三重県三重郡朝日町小向(おぶけ)に窯を開いたのが始まりです。弄山の窯の作品を古萬古といっています。また、「萬古」、「萬古不易」の印が押されており、永遠に変わらないという意であり、萬古焼の名の由来となりました。一時、萬古焼は衰退しましたが、天保2年(1831)に有節(ゆうせつ)が小向の地に再興しました。この窯の製品を有節萬古と呼んでいます。四日市では幕末に住職・田端教正と信楽の陶工・上島庄助によって窯が開かれたと言われています。一時、廃窯となりましたが、明治時代に入り大地主・山中忠左衛門らにより有節萬古の技術を取り入れて操業し、今日に至っています。萬古焼の窯は三重県内の他の地にもありますが、良く知られているのが四日市です。
有節萬古色絵龍山水さん瓶 有節萬古色絵草花文皿
最も有名な製品は紫泥の急須です。木型や土型などを用いて、厚みの薄い急須作りをしています。紫泥急須は明治時代中期に開発されました。鉄分の多い粘士を用いて、還元炎焼成により焼き締められて、独特の黒紫色を呈しています。
型萬古
急須(型萬古) ごはん鍋・たじん鍋
その他、四日市で作られている製品は、土鍋やごはん鍋などの耐熱製品、食器、花器、植木鉢などです。
 
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萬古神社 萬古祭りの様子
 
<情報>
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